の出来ない外国の音楽だと思います。私は今ニッポンにあって今私共の生活に解け込んでいるものは皆ニッポンのものだと思っております。洋服、豚カツ、ネオン、ラジオなどみなニッポンのものであるように、ピアノやヴィオリーネのような管絃楽の楽器、サキサフォンやヴィラフォンのようなジャズの楽器もみな私共のニッポンの楽器です。私共は老人諸君と違ってジンフォニーを聞いても、ブルーズやフォックス・トロットを聞いても安心して私共のニッポン音楽を聞くつもりでおります。そこに大変な人生観の相違があります。それどころか、私共はそれくらいな事ではまだ不満足です。私共は将来私共ニッポン人の手で壮麗無比な第十ジンフォニーを作りあげたいです。

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 ニッポンの音楽学校にとっては、音楽というものはよくよくつまらない小手先の芸当だかも知れませんが、私にとって音楽は私共の生活から離れない真面目な芸術です。今の私共の生活にその基礎をもってないようなものは、私共の音楽というに足らないものです。そしてニッポンの古い音楽が私共の生活の上に果してどれほど基礎を持っているでしょうか。私共の受けた教育はすべて西洋の学問が基礎に
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