楽にもこれとおなじ問題は大正の時代から繰返されました。私もそれについては一役を演じました。私はその時には青年の役を買いました。老人の役を買った人も沢山あります。ただ今ほど愛国という言葉がひどく使われませんでした。老人の頭の程度にニッポンの物事を引きもどすのが愛国であるという考えは、近頃出来たものかもしれません。私は国を愛する事にかけては、おそらく誰にも劣らないでしょう。ただ私は何時も青年の役を買います。ニッポンの将来を愛します。出来るだけ理想的なニッポンを考えます。そしてその理想の実現のために努力しようと思います。
音楽もこの例にもれません。私は将来のニッポンの音楽文化を考えます。その実現のためにこそ私共は努力しようと思います。すべての判断はそこから来ます。私のためには今日のニッポンの音楽はただ明日のニッポンの音楽を作る過程として、はじめて意味があります。
ニッポンの音楽という言葉の中にはどれだけのものを含めるかという事について、私と老人諸君とは少し意見がちがいます。老人諸君は、自分の若い時に頭の中にはいった音楽がニッポンの音楽だと思っております。それより以外のものは到底理解する事
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
兼常 清佐 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング