いゝですからね」と皆がきいてるのに、そんなことを云つてみたり、わざ/\傍へきて
「どこかわからん所はないか」の「教へてやる」のと云ひ、皆にノートを出させて、私のだけ「おゝ、よく出来ました」と、ほめたり……そして、皆にいふのはいつも「いゝところの家の子でないと、どうしてもダメだ」とか、「いゝ家の子は家庭教師をつけるから、よく出来る」とか、そんなことばつかりだ。あんないやしい、先生らしくない先生には、始めてお目にかかつた。思ひ出してもゾツとする。
 何もかもがつまらなくなつて仕様がなくなつた。憤慨しながら私もヤケクソで形式的な勉強をする様になつて来た。今、名古屋での足あとをふり返ると、私自身が冷汗が出るほどいゝ加減だつたことを思ふ。私は、従来のつめこみ式、及び形式的な勉強がほんとに、どんなに実のない、つまらないものであるかを知つた。しかも、それは只わかつた[#「わかつた」に傍点]といふだけ[#「だけ」に傍点]にすぎなかつた。只、悪い! 悪い! と叫んだが、肝心の「それをどうしてよくするか」といふことについては考へも研究もしなかつた。悪いことを憤慨するだけで、却つてその憤慨する自分は、黙つて
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