ないのだ。ここで猛獣を鞭で打つたり、横木に吊り下がつたりする人達のうちで、誰があの爆発の危険なんぞを想像することが出来るものか。あしたから又不断の、いやな、あぶない目を見る人達も、今はそれを綺麗に忘れてゐて、思ひ切つて払つた金だけの値打のある面白さに浮かれてゐる。
 曲馬組の頭《かしら》マツテオ・カスペリイニイはけふひどく貧民に同情して、大抵晩の興行に出して、金を倍払ふお客様に見せる程の物は、吝《をし》まずに午後の興行にも出す。それ丈の事は別に苦にせずに出来る。晩も大当な事は受け合はれるからである。
 曲馬組の人達は暇のない働きをしてゐるので、晩の興行の客がどの位場外に詰め寄せて来たか、平生ひつそりしてゐる、マリアの辻にどんな前景気が見えて来たか、知らずにゐる。ロオデンシヤイド市の警察は人数も余り多くない。それに余り智慧もない。そこで大変な惨状を呈しさうな模様の見えてゐるのに、それを予防しようともしなかつた。
 カスペリイニイの曲馬場は正面の入口が頗広い。併しその広い入口一つしか無い。入口が即ち出口である。さて午後興行に這入つた客が太平無事を楽んでゐるうちに、晩の興行に這入らうとする客
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