ヘ、果して舟の横浜に着くまでに死んでしまつた。それも果敢《はか》ない土産であつた。

       *     *     *

 自分は失望を以て故郷の人に迎へられた。それは無埋もない。自分のやうな洋行帰りはこれまで例の無い事であつたからである。これまでの洋行帰りは、希望に輝《かがや》く顔をして、行李の中から道具を出して、何か新しい手品を取り立てて御覧に入れることになつてゐた。自分は丁度その反対の事をしたのである。
 東京では都会改造の議論が盛んになつてゐて、アメリカのAとかBとかの何号町《なんがうまち》かにある、独逸人の謂ふ Wolkenkratzer《ヲルケンクラツツエル》 のやうな家を建てたいと、ハイカラア連《れん》が云つてゐた。その時自分は「都会といふものは、狭い地面に多く人が住むだけ人死《ひとじに》が多い、殊に子供が多く死ぬる、今まで横に並んでゐた家を、竪《たて》に積み畳《かさ》ねるよりは、上水《じょうすゐ》や下水《げすゐ》でも改良するが好からう」と云つた。又建築に制裁を加へようとする委員が出来てゐて、東京の家の軒の高さを一定して、整然たる外観の美を成さうと云つてゐた。その時自分は「そんな兵隊の並んだやうな町は美しくは無い、強《し》ひて西洋風にしたいなら、寧《むし》ろ反対に軒の高さどころか、あらゆる建築の様式を一軒づつ別にさせて、ヱネチアの町のやうに参差錯落《しんしさくらく》たる美観を造るやうにでも心掛けたら好からう」と云つた。
 食物改良の議論もあつた。米を食ふことを廃《や》めて、沢山牛肉を食はせたいと云ふのであつた。その時自分は「米も魚もひどく消化の好いものだから、日本人の食物は昔の儘が好からう、尤も牧畜を盛んにして、牛肉も食べるやうにするのは勝手だ」と云つた。
 仮名遣《かなづかひ》改良の議論もあつて、コイスチヨーワガナワといふやうな事を書かせようとしてゐると、「いやいや、Orthographie《オルトグラフイイ》 はどこの国にもある、矢張コヒステフワガナハの方が宜《よろ》しからう」と云つた。
 そんな風に、人の改良しようとしてゐる、あらゆる方面に向つて、自分は本《もと》の杢阿弥説《もくあみせつ》を唱へた。そして保守党の仲間に逐《お》ひ込まれた。洋行帰りの保守主義者は、後には別な動機で流行し出したが、元祖は自分であつたかも知れない。
 そこで学ん
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