フ後に、欧羅巴の当り狂言になつてゐた Taifun《タイフン》 なんぞに現れてゐる。併し自分は日本人を、さう絶望しなくてはならない程、無能な種族だとも思はないから、敢て「まだ」と云ふ。自分は日本で結んだ学術の果実を欧羅巴へ輸出する時もいつかは来るだらうと、其時から思つてゐたのである。
自分はこの自然科学を育てる雰囲気のある、便利な国を跡に見て、夢の故郷へ旅立つた。それは勿論立たなくてはならなかつたのではあるが、立たなくてはならないといふ義務の為めに立つたのでは無い。自分の願望《ぐわんまう》の秤《はかり》も、一方の皿に便利な国を載せて、一方の皿に夢の故郷を載せたとき、便利の皿を弔《つ》つた緒《を》をそつと引く、白い、優しい手があつたにも拘《かかは》らず、慥《たし》かに夢の方へ傾いたのである。
シベリア鉄道はまだ全通してゐなかつたので、印度《インド》洋を経て帰るのであつた。一日行程の道を往復しても、往きは長く、復《かへ》りは短く思はれるものであるが、四五十日の旅行をしても、さういふ感じがある。未知の世界へ希望を懐《いだ》いて旅立つた昔に比べて寂しく又早く思はれた航海中、籐《とう》の寝椅子に身を横へながら、自分は行李《かうり》にどんなお土産《みやげ》を持つて帰るかといふことを考へた。
自然科学の分科の上では、自分は結論丈を持つて帰るのではない。将来発展すべき萌芽《はうが》をも持つてゐる積りである。併し帰つて行く故郷には、その萌芽を育てる雰囲気が無い。少くも「まだ」無い。その萌芽も徒《いたづ》らに枯れてしまひはすまいかと気遣はれる。そして自分は fatalistisch《フアタリスチツシユ》 な、鈍い、陰気な感じに襲はれた。
そしてこの陰気な闇を照破《せうは》する光明のある哲学は、我行李の中には無かつた。その中に有るのは、ショオペンハウエル、ハルトマン系の厭世哲学である。現象世界を有るよりは無い方が好いとしてゐる哲学である。進化を認めないではない。併しそれは無に醒覚せんが為めの進化である。
自分は錫蘭《セイロン》で、赤い格子縞《かうしじま》の布を、頭と腰とに巻き附けた男に、美しい、青い翼の鳥を買はせられた。籠を提《さ》げて舟に帰ると、フランス舟の乗組貝が妙な手附きをして、「Il《イル》 ne《ヌ》 vivra《ヰウラ》 pas《パア》 !」と云つた。美しい、青い鳥
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