ショオペンハウエルを読んで見れば、ハルトマン・ミヌス・進化論であつた。世界は有るよりは無い方が好いばかりではない。出来る丈《だけ》悪く造られてゐる。世界の出来たのは失錯《しつさく》である。無《む》の安さが誤まつて攪乱《かうらん》せられたに過ざない。世界は認識によつて無の安さに帰るより外はない。一人一人の人は一箇一箇の失錯で、有るよりは無いが好いのである。個人の不滅を欲するのは失錯を無窮にしようとするのである。個人は滅びて人間といふ種類が残る。この滅びないで残るものを、滅びる写象《しやしやう》の反対に、広義に、意志と名付ける。意志が有るから、無は絶待の無でなくて、相待の無である。意志が Kant《カント》 の物その物である。個人が無に帰るには、自殺をすれば好いかといふに、自殺をしたつて種類が残る。物その物が残る。そこで死ぬるまで生きてゐなくてはならないといふのである。ハルトマンの無意識といふものは、この意志が一変して出来たのであつた。
 自分はいよいよ頭を掉《ふ》つた。

       *     *     *

 兎角する内に留学三年の期間が過ぎた。自分はまだ均勢を得ない物体の動揺を心の内に感じてゐながら、何の師匠を求めるにも便《たよ》りの好い、文化の国を去らなくてはならないことになつた。生きた師匠ばかりではない。相談相手になる書物も、遠く足を運ばずに大学の図書館に行けば大抵間に合ふ。又買つて見るにも注文してから何箇月目に来るなどといふ面倒は無い。さういふ便利な国を去らなくてはならないことになつた。
 故郷は恋しい。美しい、懐かしい夢の国として故郷は恋しい。併し自分の研究しなくてはならないことになつてゐる学術を真に研究するには、その学術の新しい田地《でんぢ》を開墾して行くには、まだ種々《いろいろ》の要約の闕《か》けてゐる国に帰るのは残惜《のこりを》しい。敢《あへ》て「まだ」と云ふ。日本に長くゐて日本を底から知り抜いたと云はれてゐる独逸《ドイツ》人某は、此要約は今|闕《か》けてゐるばかりでなくて、永遠に東洋の天地には生じて来ないと宜告した。東洋には自然科学を育てて行く雰囲気《ふんゐき》は無いのだと宣告した。果してさうなら、帝国大学も、伝染病研究所も、永遠に欧羅巴《ヨオロツパ》の学術の結論丈を取り続《つ》ぐ場所たるに過ぎない筈である。かう云ふ判断は、ロシアとの戦争
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