を不愉快な意味に於いて此行為に参加させようとするのではない。僕は最後に今一度此女の嬌態と美貌とを思ひ浮べるのが愉快なのである。
僕が先《さ》つき心を怡ましむるに足る情人と云つたのは此女だ。名はジユリエツトと云つて、フランス産である。同胞の女がアメリカ人の妻《さい》になつてゐる。僕は去年ボスポルスに旅行した時出逢つたのだ。僕はテラピアに住まつてゐた。その時此女も矢張テラピアに住まつてゐたので、僕をも此女をも知つてゐた人があつて、二|人《にん》を引き合せてくれたのだ。僕はそのアメリカ人の一家を仮にブラウンと名づけよう。そこでブラウン夫婦とジユリエツトと僕とは中が善くなつた。皆同じホテルに住まつてゐて、毎日逢ふことになつてゐた。
僕が始めて或る事に気が附いたのは、九月の初であつた。スタンビユウルへ往くには余り暑過ぎた。そこで一しよに馬車を傭つて、キユウル・アネエと云ふ所へ往くことにした。キユウル・アネエとは薔薇の谷と云ふことである。テラピアとビユイユウク・デレとに近い、画のやうな部落である。石の階段を登つた上に、葉の茂つた木に蔽はれて、小さいトルコの珈琲店《コオフイイてん》がある。そこで
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