の数々は、運河のうねりの数々よりも多く、その記念のかゞやきは、運河の水の光より強い。今から思つて見ても、あの生活を永遠に継続することが出来たなら、己は別に何物をも求めようとはしなかつただらう。あの生活をどう変更しようと云ふ欲望は、己には無かつただらう。只目の前にゐる美しい女の微笑《ほほゑみ》が折々変つて、その唇が己に新なる刺戟を与へてくれさへしたら、己はそれに満足してゐただらう。
併しバルタザルはさうは思はなかつた。己の胸はあれが館の窓々が鎖されて、只白壁の上に淡紅色の大理石の花ばかりが開くやうに見えてゐた時、どんなにか血を流しただらう。バルタザルは遠い旅に立つた。世間を見ようと思つたのである。あれは三年の間遠い所にゐた。そして去る時飄然として去つたやうに、或る日、又飄然として帰つて来た。朝が来れば、あれの声が石階の上から又己を呼ぶ。晩にはあれと己とが又博奕の卓を囲む。己達は又昔の通りの生活を始めた。そのうち或る日不思議な出来事があつて、あれを永遠に復《ま》た起つことの出来ないやうにしてしまつた。それからと云ふものは、あれはサン・ステフアノの寺の石畳みの下に眠つてゐる。両手を胸の創口
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