が据わつて、干菓子をかじつたり、ソルベツトを啜つたりしながら、尼達の饒舌《しやべ》るのを聞いて、偸目《ぬすみめ》をして尼達の胸の薄衣《うすぎぬ》の開《あ》き掛かつてゐる所をのぞいてゐたことは幾度《いくたび》であらう。二人が賭博の卓に倚つて、人の金を取つたり、人に金を取られたりしてゐたことも幾晩であらう。カルネワレの祭の頃、二人で町中《まちなか》を暴《あ》れ廻り跳ね廻つたのも幾度であらう。仮装舞踏に一しよに往つて、一しよにそこから帰る時は、二人の外套の袖と袖とが狭い巷《こうぢ》で触れ合つたものである。彼誰時《たそがれどき》の空には星の色が褪め掛かる。運河の岸まで歩いて来ると、潮気のある風が海から吹いて来て、二人の着物の裾を翻《ひるがへ》す。二人は色々に塗つた仮面の下の熱した頬の上に、暁の冷たい息を感じたのである。
こんな風に己達の青春は過ぎた。ヱネチアの少女等は恋愛でこれに味を附けて過させてくれた。波の上をすべるゴンドラの舟が、ひまな己達の体をゆすつてくれた。歌の声や笑声が、柔かい烈しさで己達のひまな時間を慰めてくれた。その時の反響がまだ己の耳の底に残つてゐる。こんな楽しかつた日の記念
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