とよせて房《へや》の裡《うち》にのみ籠《こも》りて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨に頭《かしら》のみ悩ましたればなり。此《この》恨は初め一抹の雲の如く我《わが》心を掠《かす》めて、瑞西《スヰス》の山色をも見せず、伊太利《イタリア》の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭《いと》ひ、身をはかなみて、腸《はらわた》日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳《かげ》とのみなりたれど、文《ふみ》読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度《いくたび》となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を銷《せう》せむ。若《も》し外《ほか》の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地《こゝち》すが/\しくもなりなむ。これのみは余りに深く我心に彫《ゑ》りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴《ばうど》の来て電気線の鍵を捩《ひね》るには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。
余は幼き比《ころ》より厳しき庭の訓《をしへ》を受けし甲斐《かひ》に、父をば早く喪《うしな》ひつれど、学問の荒
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