《すさ》み衰ふることなく、旧藩の学館にありし日も、東京に出でゝ予備黌《よびくわう》に通ひしときも、大学法学部に入りし後も、太田|豊太郎《とよたらう》といふ名はいつも一級の首《はじめ》にしるされたりしに、一人子《ひとりご》の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたなき名誉なりと人にも言はれ、某《なにがし》省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、官長の覚え殊《こと》なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を踰《こ》えし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遙々《はる/″\》と家を離れてベルリンの都に来ぬ。
 余は模糊《もこ》たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽《たちま》ちこの欧羅巴《ヨオロツパ》の新大都の中央に立てり。何等《なんら》の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹下と訳するときは、幽静なる境《さかひ》なるべく思はるれど、この大道|髪《かみ》の如きウンテル、デン、リ
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