了《そくれう》にも、余を以《も》て色を舞姫の群に漁《ぎよ》するものとしたり。われ等|二人《ふたり》の間にはまだ痴※[#「馬+矣」、第3水準1−94−13]《ちがい》なる歓楽のみ存したりしを。
 その名を斥《さ》さんは憚《はゞかり》あれど、同郷人の中に事を好む人ありて、余が屡※[#二の字点、1−2−22]《しば/\》芝居に出入して、女優と交るといふことを、官長の許《もと》に報じつ。さらぬだに余が頗《すこぶ》る学問の岐路《きろ》に走るを知りて憎み思ひし官長は、遂に旨を公使館に伝へて、我官を免じ、我職を解いたり。公使がこの命を伝ふる時余に謂《い》ひしは、御身《おんみ》若し即時に郷に帰らば、路用を給すべけれど、若し猶こゝに在らんには、公の助をば仰ぐべからずとのことなりき。余は一週日の猶予を請ひて、とやかうと思ひ煩ふうち、我生涯にて尤《もつと》も悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通は殆ど同時にいだしゝものなれど、一は母の自筆、一は親族なる某《なにがし》が、母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書《ふみ》なりき。余は母の書中の言をこゝに反覆するに堪へず、涙の迫り来て筆の運《はこび》を
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