った先は、向いに下宿している女学生の親元である。F君は女学生と秘密に好い中になっていたが、とうとう人に隠されぬ状況になったので、正式に結婚しようとした。それを四国の親元で承引しない。そこで親達を説き勧めにF君が安国寺さんを遣《や》ったと云うのである。
 私はそれを聞いて、「安国寺さんを縁談の使者に立てたとすると、F君はお大名だな」と云った。無遠慮な Egoist たるF君と、学徳があって世情に疎《うと》く、赤子の心を持っている安国寺さんとの間でなくては、そう云うことは成り立たぬと思ったのである。 
 安国寺さんの誠は田舎の強情な親達を感動させて、女学生はF君の妻になることが出来た。二人は小石川に家を持った。

     ――――――――――――

 又一年立った。私はロシアとの戦争が起ったので、戦地へ出発した。F君は新橋の停車場まで送って来て、私にドイツ文で書いたロシア語の文法書を贈った。この本と南江堂で買ったロシア、ドイツの対訳辞書とがあったので、私は満州にいる間、少なからぬ便利を感じた。
 私が満州で受け取った手紙のうちに、安国寺さんの手紙があった。その中《うち》に重い病気のために
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