はフランス語の事を話すからである。君は、「フランス語も面白いでしょうが、僕は二つの語を浅く知るより、一つの語を深く知りたいのです」と云う。「また一説だね」と、私は云う。この背面には、そうばかりは行かぬと云う意味がある。君はそれを察する。そして多少気まずく思う。その上余り頻《しき》りに往来した挙句に、必然起る厭倦《えんけん》の情も交って来る。そこで毎日来た君が一日隔てて来るようになる。二日を隔てて来るようになる。譬《たと》えて言えば、二人は最初遠く離れた並行線のように生活していたのに、一時その距離が逼《せま》り近づいて来て、今又近く離れた並行線のように生活することになったのである。
 F君はドイツ語の教師をして暮す。私は役人をして、旁《かたわら》フランス語の稽古をして暮す。そして時々逢って遠慮のない話をする。二人の間には世間並の友人関係が成り立ったのである。

     ――――――――――――

 翌年になった。四月の初にF君が来て、父の病気のために帰省しなくてはならぬから、旅費を貸して貰いたいと云った。幾らいるかと云えば、二十五円あれば好いと云う。私はすぐに出してわたした。もう徼幸者
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