の》り出た人に、F君のような造詣のあったことは曾《かつ》て無い。この側から見れば、F君は奇蹟である。しかしこれまで私の家に寄食したいと云って来た人に、一文の貯もなかったことは幾らでも有る。この側から見ればF君は平凡な徼幸者《ぎょうこうしゃ》である。そう云う徼幸者を遇する道は、私のためには熟路である。私はこの熟路を行くに、奇蹟たる他の一面を顧慮して、多少の手加減をすれば好いのである。
 私は決して徼幸者に現金をわたさない。これが徼幸者に対する一つの原則である。そこで私はF君にこんな事を言った。君はドイツ語が好く出来る。私の君を知っているのは只それだけである。それだけでは、君と同居しようとまでは、私には思われない。そこで私は君を、私の心安い宿屋に紹介する。宿屋では私に対する信用で、君を泊まらせて食わせて置く。その間に私は君のために位置を求める。それも、君だけの材能があって見れば、多少の心当《こころあたり》がないでもない。若し旨《うま》く行ったら、君は自ら贏《か》ち得た報酬で宿屋の勘定をするが好い。それが旨く行かず、又故郷からも金が来なかったら、宿屋の勘定だけを私が引き受ける。私にはそれ以上の約束は出来ない。それで好いかと、私は云った。
 F君は私の詞《ことば》を聞いて、少し勝手が違うように、予期に反したように感じたらしかったが、とにかく同意した。多分君は私が許諾するか、拒絶するかと思っていただろう。それに私の答は許諾でもなければ、拒絶でもなかったから、君のためには意外であったかと思われる。とにかく君は、格別|難有《ありがた》がる様子もなく、私に同意した。
 私は使を遣って下役の人を呼んで、それに用事を言い含めた。そしてF君を連れて、立見《たちみ》と云う宿屋へ往かせた。立見と云うのは小倉停車場に近い宿屋で、私がこの土地に著《つ》いた時泊った家である。主人は四十を越した寡婦《かふ》で、狆《ちん》を可哀がっている。怜悧《れいり》で、何の話でも好くわかる。私はF君をこの女の手に托したのである。

     ――――――――――――

 私がF君に多少の心当があると云ったのは、丁度その頃小倉に青年の団体があって、ドイツ語の教師を捜していたからである。そこで早速その団体の世話人に話して、君を聘《へい》することにさせた。立見の勘定は私が払わなくても好いことになった。
 F君は殆《ほと
前へ 次へ
全14ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング