二人の友
森鴎外
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)豊前《ぶぜん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大言|荘語《そうご》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「糸+樔のつくり」、第4水準2−84−55]車《いとぐるま》
−−
私は豊前《ぶぜん》の小倉《こくら》に足掛四年いた。その初《はじめ》の年の十月であった。六月の霖雨《りんう》の最中に来て借りた鍛冶町《かじまち》の家で、私は寂しく夏を越したが、まだその夏のなごりがどこやらに残っていて、暖い日が続いた。毎日通う役所から四時過ぎに帰って、十畳ばかりの間《ま》にすわっていると、家主《いえぬし》の飼う蜜蜂が折々軒のあたりを飛んで行く。二台の人力車がらくに行き違うだけの道を隔てて、向いの家で糸を縒《よ》る※[#「糸+樔のつくり」、第4水準2−84−55]車《いとぐるま》の音が、ぶうんぶうんと聞える。糸を縒っているのは、片目の老処女で、私の所で女中が宿に下がった日には、それが手伝に来てくれるのであった。
或る日役所から帰って、机の上に読みさして置いてあった Wundt の心理学を開いて、半ペエジばかり読んだが、気乗がせぬので止めた。そしていつもの※[#「糸+樔のつくり」、第4水準2−84−55]車の音を聞いてぼんやりしていた。
そこへ女中が知らぬ人の名刺を持って来た。どんな人かと問えば、洋服を著《き》た若い人だと云う。とにかく通せと云うと、すぐにその人が這入《はい》って来た。
二十《はたち》を僅《わずか》に越した位の男で、快活な、人に遠慮をせぬ性《たち》らしく見えた。この人が私にそう云う印象を与えたのは、多く外国人に交《まじわ》って、識《し》らず知らずの間に、遠慮深い東洋風を棄てたのだと云うことが、後に私にわかった。
初対面の挨拶が済んで私は来意を尋ねた。この人の事を私はF君と書く。F君の言う所は頗《すこぶ》る尋常に異なるものであった。君は私とは同じ石見人《いわみじん》であるが、私は津和野《つわの》に生れたから亀井《かめい》家領内の人、君は所謂《いわゆる》天領の人である。早くからドイツ語を専修しようと思い立って、東京へ出た。所々の学校に籍を置き、種々《いろ
次へ
全14ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング