ときは、名物の鶴《つる》の子《こ》より旨《うま》いというので、焼芋を買わせる。常磐橋の辻から、京町へ曲がる角に釜《かま》を据えて、手拭《てぬぐい》を被った爺《じ》いさんが、「ほっこり、ほっこり、焼立ほっこり」と呼んで売っているのである。酒は自分では飲まないが、心易《こころやす》い友達に飲ませるときは、好《すき》な饂飩を買わせる。これも焼芋の釜の据えてある角から二三軒目で、色の褪《さ》めた紺暖簾《こんのれん》に、文六と染め抜いてある家へ買いに遣《や》るのである。
 主人は饂飩だけ相伴して、無頓着《むとんじゃく》らしい顔に笑《えみ》を湛《たた》えながら、二人の酒を飲むのを見ている。話はしめやかである。ただ富田の笑う声がおりおり全体の調子を破って高くなる。この辺は旭《あさひ》町の遊廓が近いので、三味《さみ》や太鼓の音もするが、よほど鈍く微かになって聞えるから、うるさくはない。
 竹が台所から出て来て、饂飩の代りを勧めると、富田が手を揮《ふ》って云った。
「もういけない。饂飩はもう御免だ。この家にも奥さんがいれば、僕は黙って饂飩で酒なんぞは飲まないのだが。」
 これが口火になって、有妻無妻とい
前へ 次へ
全22ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング