。さようなら。」
六
二人の客の帰った迹《あと》は急にひっそりした。旭町の太鼓はいつか止んでいて、今まで聞えなかった海の鳴る音がする。
竹が出て来て、酒や茶の道具を片附けている。主人の大野は、見るともなしにそれを見ていたが、ふいと竹を女として視ようとした。
背の低い、髪の薄い、左右の目の大さの少し違っている女である。初め奉公に来た時は痩せて蒼い顔をしていて、しおらしいような処があった。それがこの家に来てから段々肥えて、頬《ほ》っぺたが膨らんで来た。女振はよほど下がったのである。
宿元は小倉に近い処にあるが、兄が博多《はかた》で小料理屋をしている。飯焚《めしたき》なんぞをするより、酌でもしてくれれば、嫁入支度位は直ぐ出来るようにして遣ると、兄が勧めたので、暫く博多に行っていたが、そこへ来る客というのが、皆マドロスばかりで、ひどく乱暴なので、恐れて逃げて帰ったのだそうだ。裏表のない、主人のためを思って働く、珍らしい女中である。しかし女として視ることはむずかしい。これまで一度も女だと思ったことがなかったが、今女だと思おうとしても、それがほとんど不可能である。異性のも
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