からな。箕村だってそうだ。僕は何故《なにゆえ》にお稲荷さんが、特に女中をしていたお梅さんを抜擢《ばってき》したかということまで、神慮に立ち入って究めることは敢《あえ》てしない。しかし兎に角第二の細君が直ぐに出来たのは、箕村のために幸福であった。箕村は一日も不自由をしない。箕村のお客たる僕なんぞも不自由をしない。主人が幸福なら、客も幸福だ。」
主人の無頓着《むとんじゃく》らしい顔には、富田がいくら管《くだ》を巻いてもやはり微笑の影が消えない。
戸川は主人に目食《めく》わせをした。「いや。大変遅くなった。もうお暇《いとま》をします。」
そして起ちそうにして起たずに、頻《しき》りに富田を促すのである。「さあ。君も行こうじゃないか。もう分かっているよ。分かっているよ。」
戸川はとうとう引き摩《ず》るようにして富田を連れ出した。
富田は少しよろけながら玄関へ出て、大声にどなっている。「おい。お竹さん。もう一本熱いのを貰うはずだが、こん度の晩まで預けて置くよ。」
主人は送りに出て、戸川に囁《ささや》いた。「車を呼びに遣ろうか。」
「なに。どうせ同じ道ですから、僕が門まで一しょに行きます
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