の羊羹《ようかん》のあったのを切って来い。おい。富田君の処の徳利は片附けてはいけない。」
「いや。これを持って行かれては大変。」富田は鰕《えび》のようになった手で徳利を押えた。そして主人にこう云った。
「一体御主人の博聞強記は好《い》いが、科学を遣っているくせに仏法の本なんかを読むのは分からないて。仏法の本は坊様が読めば好いではないか。」
寧国寺さんは饂飩をゆっくり食べながら、顔には相変らず微笑を湛えている。
主人がこう云った。「君がそう思うのも無理はない。医書なんぞは、医者でないものが読むと、役には立たないで害になることもある。しかし仏法の本は違うよ。」
「どうか知らん。独身でいるのさえ変なのに、お負《まけ》に三宝に帰依《きえ》していると来るから、溜まらない。」
「また独身攻撃を遣り出すね。僕なんぞの考では、そう云う君だってやっぱり三宝に帰依しているよ。」
「こう見えても、僕なんかは三宝とは何と何だか知らないのだ。」
「知らないでも帰依している。」
「そんな堅白異同《けんぱくいどう》の弁を試みたっていけない。」
主人は笑談《じょうだん》のような、真面目《まじめ》のような、不得要
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