いて、戸川と富田との間の処に据わった。
 寧国寺《ねいこくじ》さんという曹洞宗《そうとうしゅう》の坊さんなのである。金田町の鉄道線路に近い処に、長い間廃寺のようになっていた寧国寺という寺がある。檀家《だんか》であった元小倉藩の士族が大方|豊津《とよつ》へ遷《かえ》ってしまったので、廃寺のようになったのであった。辻堂を大きくしたようなこの寺の本堂の壁に、新聞|反古《ほご》を張って、この坊さんが近頃住まっているのである。
 主人は嬉しそうな顔をして、下女を呼んで言い附けた。
「饂飩がまだあるなら、一杯熱くして寧国寺さんに上げないか。お寒いだろうから。」
 戸川は自分の手を翳していた火鉢を、寧国寺さんの前へ押し遣った。
 寧国寺さんはほとんど無間断《むげんだん》に微笑を湛《たた》えている、痩《や》せた顔を主人の方に向けて、こんな話をし出した。
「実は今朝|托鉢《たくはつ》に出ますと、竪《たて》町の小さい古本屋に、大智度論《たいちどろん》の立派な本が一山積み畳ねてあるのが、目に留まったのですな。どうもこんな本が端本《はほん》になっているのは不思議だと思いながら、こちらの方へ歩いて参って、錦《に
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