》より敬服して弟子の如くなり居り候。御先考様は其左近の宅に酒を持ち行かれし者と想像致候。左近は本名佐平と申候。」中氏が武彦さんの姻戚なることは上に云つた。武彦さんは麹町《かうぢまち》区土手三番町四番地に住んでゐる。
 本文に四郎左衛門を回護したと云ふ女子薫子は伏見宮諸大夫若江|修理大夫《しゆりのだいぶ》の女《むすめ》ださうである。薫子の尾州藩徴士荒川甚作に与へた書は下の如くである。「当月五日横井平四郎を殺害致し候者御処置之儀、如何之御儀《いかゞのおんぎ》に被為在候哉《あらせられそろや》。是は御役辺之儀故、決而可伺儀《けつしてうかゞふべきぎ》に而者無之候《てはこれなくさふら》へ共、右殺害に及候者より差出し候書附にも、天主教を天下に蔓延《まんえん》せしめんとする奸謀之由申立《かんぼうのよしまうしたて》有之、尤《もつとも》、此書附|而已《のみ》に候へば、公議を借て私怨を価(一本作憤《いつぽんはふんにつくる》、恐並非《おそらくはならびにひならん》)候哉共被疑《そろやともうたがはれ》候へ共、横井奸謀之事は天下衆人皆存知候所に御座候間、公議を借候とは難申《まうしがたく》、朝廷之参与を殺害仕候は不容易、勿論厳刑に可被処《しよせらるべく》候へ共、右様天下衆人之|能存候《よくぞんじそろ》罪状有之者を誅戮《ちゆうりく》仕候事、実に報国赤心之者に御座候間、非常之御処置を以《もつて》手を下し候者も死一等を被減候様仕度《げんぜられそろやうつかまつりたく》、如斯《かくのごとく》申上候へば、先般天誅之儀に付|彼此《かれこれ》申上候と齟齬《そご》仕、御不審|可被為在《あらせらるべく》候へ共、方今之時勢|彼之者共《かのものども》厳科に被行候《おこなはれさふら》へ者《ば》、忽《たちまち》人心離叛|仕《つかまつり》、他の変を激生|仕事《つかまつること》鏡に掛て見る如くと奉存候。且又手を下候者に無之同志之由を申自訴仕候者《まうしじそつかまつりそろもの》多分御座候由伝聞仕候。右自訴之人共|何《いづ》れも純粋正義之名ある者之由承候。是等の者は別而《べつして》寛典を以《もつて》御赦免|被為在可然御儀《あらせられてしかるべきおんぎ》と奉存候。実に正義之人|者《は》国之元気に御座候間、一人に而《て》も戮《りく》せられ候へば、自ら元気を※[#「爿+戈」、第4水準2−12−83]《そこなひ》候。自ら元気を※[#「爿+戈
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