sそろ》つて、こつそり来て貰ひたいと云ふことであつた。市郎左衛門夫婦は何事かと不審に思つたが、よめの丈《たけ》には、兎《と》に角《かく》急いで支度をせいと言ひ附けた。若しや夫の身の上に掛かつた事ではあるまいかと心配しつゝも、祖父母の跡に附いて、当時二十二歳の母は、六歳になつた私を連れて往つた。
杉本方に待つてゐたのは父四郎左衛門であつた。私は幼かつたので、父がどんな容貌をしてゐたか、はつきりと思ひ浮べることだに出来ない。只《たゞ》「坊主|好《よ》く来た」と云つて、微笑《ほゝゑ》みつゝ頭を撫《な》でゝくれたことだけを、微《かす》かに記憶してゐる。両親と母とには、余り逗留《とうりう》が長くなるので、一寸《ちよつと》逢ひに帰つたと云つたさうである。父は夜の明けぬうちに浮田村を立つて、急いで京都へ引き返した。
明治二年正月五日の午後である。太政官を退出した横井平四郎の駕籠が、寺町を御霊社《ごりやうしや》の南まで来掛かつた。駕籠の両脇には門人横山|助之丞《すけのじよう》と下津鹿之介とが引き添つてゐる。若党上野友次郎、松村金三郎の二人に、草履取《ざうりとり》が附いて供をしてゐる。忽《たちま》ち一発の銃声が薄曇の日の重い空気を震動させて、とある町家の廂間《ひあはひ》から、五六人の士が刀を抜き連れて出た。上田等の同志のものである。短銃は駕籠舁《かごかき》や家来を威嚇《ゐかく》するために、中井がわざと空に向つて放つたのである。
駕籠舁は駕籠を棄てゝ逃げた。横井の門人横山、下津は、兼《かね》て途中の異変を慮《おもんばか》つて、武芸の心得のあるものを選んで附けたのであるから、刀を抜き合せて立ち向つた。横山は鹿島と渡り合ひ、下津は柳田と渡り合ふ。前岡、中井は従者等を支へて寄せ附けぬやうにする。
上田と四郎左衛門とは一歩後に控へて見てゐると、駕籠の戸を開いて横井が出た。列藩徴士中の高齢者で、少し疎《まばら》になつた白髪を髻《もとゞり》に束ねてゐる。当年六十一歳である。少しも驚き慌《あわ》てた様子はなく、抜き放つた短刀を右手に握つて、冷かに同志の人々を見遣つた。横井は撃剣を好んでゐた。七年前に品川で刺客に背を見せたのは、逃げる余裕があつたから逃げたのである。今日は逃げられぬと見定めて、飽くまで闘はうと思つてゐる。
上田が「それ」と、四郎左衛門に目くばせして云つた。四郎左衛門は只一打に
前へ
次へ
全29ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング