V丞《かしままたのじよう》、跡《あと》の二人は皆|十津川《とつがは》の人で、前岡|力雄《りきを》、中井|刀禰雄《とねを》と云つた。
四郎左衛門は土屋信雄と変名して、京都|粟田《あはた》白川橋南に入る堤町の三宅典膳と云ふものゝ家に潜伏してゐた。そして時々七人の同志と会合して、所謂|斬奸《ざんかん》の手筈《てはず》を相談した。然るに生憎《あいにく》横井は腸を傷《いた》めて、久しく出勤しなかつた。邸宅の辺を徘徊《はいくわい》して窺《うかゞ》ふに、大きい文箱《ふばこ》を持つた太政官《だじやうくわん》の使が頻《しきり》に往反《わうへん》するばかりである。
同志の人々はいつそ邸内に踏み込んで撃たうかとも思つた。しかし此秘密結社の牛耳を執《と》つてゐた上田が聴かなかつた。なぜと云ふに、横井は処士に忌まれてゐることを好く知つてゐて、邸宅には十分に警戒をしてゐた。そこへ踏み込んでは、六人の力を以てしても必ず成功するとは云はれなかつたからである。
歳暮に迫つて、横井は全快して日々出勤するやうになつた。同志の人々は会合して、来年早々事を挙げようと議決した。さて約束が極《き》まつた時、四郎左衛門は訣別《けつべつ》のために故郷へ立つた。
四郎左衛門が京都に上つてからも、浮田村の家からは市郎左衛門が終始密使を遣《や》つて金を送つてゐた。同志の会合は人の耳目を欺くためにわざと祇園《ぎをん》新地の揚屋《あげや》で催されたが、其費用を払ふのは大抵四郎左衛門であつた。色が白く、柔和に落ち著いてゐて、酒を飲んでも行儀を崩さぬ四郎左衛門は、芸者や仲居にもてはやされたさうである。或る時同志の中の誰やらがかう云つた。かうして津下にばかり金を遣《つか》はせては気の毒だ。軍資を募るには手段がある。我々も人真似に守銭奴を脅《おど》して見ようではないかと云つた。其時四郎左衛門がきつと居直つて、一座を見廻してかう云つた。我々の交《まじはり》は正義の交である。君国に捧《さゝ》ぐべき身を以て、盗賊にまぎらはしい振舞は出来ない。仮に死んでしまふ自分は瑕瑾《かきん》を顧みぬとしても、父祖の名を汚し、恥を子孫に遺《のこ》してはならない。自分だけは同意が出来ないと云つた。
大晦日《おおみそか》の雪の夜であつた。津下氏の親類で、同じ浮田村に住んでゐた杉本某の所から、津下の留守宅へ使が来た。急用があるから、在宅の人達は皆|揃
前へ
次へ
全29ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング