退治の風であおられると同時に、自然主義の側で禁止せられる出板物の範囲が次第に広がって来て、もう小説ばかりではなくなった。脚本も禁止せられる。抒情詩《じょじょうし》も禁止せられる。論文も禁止せられる。外国ものの翻訳も禁止せられる。
そこで文字に書きあらわされてある、あらゆるものの中から、自然主義と社会主義とが捜されるということになった。文士だとか、文芸家だとか云えば、もしや自然主義者ではあるまいか、社会主義者ではあるまいかと、人に顔を覗《のぞ》かれるようになった。
文芸の世界は疑懼《ぎく》の世界となった。
この時パアシイ族のあるものが「危険なる洋書」という語を発明した。
危険なる洋書が自然主義を媒介した。危険なる洋書が社会主義を媒介した。翻訳をするものは、そのまま危険物の受売《うけうり》をするのである。創作をするものは、西洋人の真似をして、舶来品まがいの危険物を製造するのである。
安寧秩序を紊る思想は、危険なる洋書の伝えた思想である。風俗を壊乱する思想も、危険なる洋書の伝えた思想である。
危険なる洋書が海を渡って来たのは Angra《アングラ》 Mainyu《マイニュウ》 の
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