に深く穿《うが》って行く。そしてそれが倫理を変化させる。形而上学を変化させる。Schopenhauer《ショオペンハウエル》 は衝動哲学と云っても好い。系統家の Hartmann《ハルトマン》 や Wundt《ヴント》 があれから出たように、Aphorismen《アフオリスメン》 で書く Nietzsche《ニイチェ》 もあれから出た。発展というものを認めないショオペンハウエルの彼岸哲学が超人を説くニイチェの此岸《しがん》哲学をも生んだのである。
 学者というものも、あの若い時に廃人同様になって、おとなしく世を送ったハルトマンや、大学教授の職に老いるヴントは別として、ショオペンハウエルは母親と義絶して、政府の信任している大学教授に毒口を利いた偏屈ものである。孝子でもなければ順民でもない。ニイチェが頭のへんな男で、とうとう発狂したのは隠れのない事実である。
 芸術を危険だとすれば、学問は一層危険だとすべきである。Hegel《ヘエゲル》 派の極左党で、無政府主義を跡継ぎに持っている Max《マックス》 Stirner《スチルネル》 の鋭利な論法に、ハルトマンは傾倒して、結論こそ違うが、無意
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