何か物音がすると云うのだ。」通訳あがりは平山と云う男である。
 小川は迷惑だが、もうこうなれば為方《しかた》がないので、諦念《あきら》めて話させると云う様子で、上さんの注ぐ酒を飲んでいる。
 主人は話し続けた。「便所は例の通り氷っている土を少しばかり掘り上げて、板が渡してあるのだね。そいつに跨《また》がって、尻《しり》の寒いのを我慢して、用を足しながら、小川君が耳を澄まして聞いていると、その物音が色々に変化して聞える。どうも鼠やなんぞではないらしい。狗《いぬ》でもないらしい。小川君は好奇心が起って溜《た》まらなくなった。その家は表からは開けひろげたようになって見えている。※[#「火+亢」、第4水準2−79−62]《かん》の縁《ふち》にしてある材木はどこかへ無くなって、築き上げた土が暴露している。その奥は土地で磚《たん》と云っている煉瓦《れんが》のようなものが一ぱい積み上げてある。どうしても奥の壁に沿うて積み上げてあるとしか思われない。小川君は物音の性質を聞き定めようとすると同時に、その場所を聞き定めようとして努力したそうだ。自分の跨がっている坑《あな》の直前は背丈位の石垣になっていて、
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