Z《かたゐ》にわたされずとのたまふを聞きつ。
 午のころ僧は莱※[#「くさかんむり/服」、第4水準2−86−29]《あほね》、麪包《パン》、葡萄酒を取り來りて我に飮啖《いんたん》せしめ、さて容《かたち》を正していふやう。便《びん》なき童よ。母だに世にあらば、この別《わかれ》はあるまじきを。母だに世にあらば、この寺の内にありて、尊き御蔭を被り、安らかに人となるべかりしを。今は是非なき事となりぬ。そちは波風荒き海に浮ばんとす。寄るところは一ひらの板のみ。血を流し給へる耶蘇、涙を墮《おと》し給ふ聖母をな忘れそ。汝が族《うから》といふものは、その外にあらじかし。此詞を聞きて、われは身を震はせ、さらば我をばいづかたにか遣らんとし給ふと問ひぬ。これより僧は、われをカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野なる牧者夫婦にあづくること、二人をば父母の如く敬ふべき事、かねて教へおきし祈祷の詞を忘るべからざる事など語り出でぬ。夕暮にマリウチア[#「マリウチア」に傍線]と其父とは寺門迄迎へに來ぬ。僧はわれを伴ひ出でゝ引き渡しつ。この牧者のさまを見るに、衣はペツポ[#「ペツポ」に傍線]のをぢのより舊《ふ》り
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