黷ヘ十字架を抱きて、その柱に頭を寄せて眠りぬ。
幾時をか眠りけん。歌の聲に醒《さ》むれば、石垣の頂には日の光かゞやき、「カツプチノ」僧二三人蝋燭を把《と》りて卓より卓に歩みゆきつゝ、「キユリエ、エレイソン」(主よ、憫《あはれ》め)と歌へり。僧は十字架に來り近づきぬ。俯して我面を見るものは、フラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]なりき。わが色蒼ざめてこゝにあるを訝《いぶか》りて、何事のありしぞと問ひぬ。われはいかに答へしか知らず。されどペツポ[#「ペツポ」に傍線]のをぢの恐ろしさを聞きたるのみにて、僧は我上を推し得たり。我は衣の袖に縋りて、我を見棄て給ふなと願ひぬ。連なる僧もわれをあはれと思へる如し。かれ等は皆我を知れり。われはその部屋をおとづれ、彼等と共に寺にて歌ひしことあり。
僧は我を伴ひて寺に歸りぬ。壁に木板の畫を貼《てう》したる房に入り、檸檬《リモネ》樹の枝さし入れたる窓を見て、われはきのふの苦を忘れぬ。フラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]は我をペツポ[#「ペツポ」に傍線]が許へは還《かへ》さじと誓ひ給へり。同寮の僧にも、このちごをば蹇《あしな》へたる丐
前へ
次へ
全674ページ中75ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング