髏ホは見る見る高くなりぬ。「コリゼエオ」は再び昔のさまに立ちて、幾千萬とも知られぬ人これに滿ちたり。長き白き衣着たるヱスタ[#「ヱスタ」に傍線]の神の巫女《みこ》あり。帝王の座も設けられたり。赤條々《あかはだか》なる力士の血を流せるあり。低き廊の方より叫ぶ聲、吼《ほ》ゆる聲聞ゆ。忽ち虎豹の群ありて我前を奔《はし》り過ぐ。我はその血ばしる眼を見、その熱き息に觸れたり。あまりのおそろしさに、かの柱頭にひたと抱きつきて、聖母の御名をとなふれども、物騷がしさは未だ止まず。この怪しき物共の群《むらが》りたる間にも、幸なるかな、大なる十字架の屹《きつ》として立てるあり。こはわがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目當に走り寄りて、緊《しか》と抱きつくほどに、石落ち柱倒れ、人も獸もあらずなりて、我は復《ま》た人事をしらず。
 人心地つきたる時は、熱すでに退きたれど、身は尚いたく疲れて、われはかの木づくりの十字架の下に臥したり。あたりを見るに、怪しき事もなし。夜は靜にして、高き石垣の上には鶯鳴けり。われは耶蘇をおもひ、その母をおもひぬ。わが母上は今あらねば、これよりは耶蘇の母ぞ我母なるべき。わ
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