うなる手などを、繰りかへして譽め給ふに、わが心には妬《ねた》ましきやうなる情起りぬ。母上は我上をも神のみつかひに譬へ給ひしかども。
鶯の歌あり。まだ巣ごもり居て、薔薇《さうび》の枝の緑の葉を啄《ついば》めども、今生ぜむとする蕾をば見ざりき。二月三月の後、薔薇の花は開きぬ。今は鶯これにのみ鳴きて聞かせ、つひには刺《はり》の間に飛び入りて、血を流して死にき。われ人となりて後、しば/\此歌の事をおもひき。されど「アラチエリ」の寺にては、我耳も未だこれを聞かず、我心も未だこれを會《ゑ》せざりき。
母上、マリウチア[#「マリウチア」に傍線]、その外女どもあまたの前にて、寺にてせし説教をくりかへすこと、しば/\ありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど我が未だ語り厭《あ》かぬ間に、かれ等は早く聽き倦《う》みき。われは聽衆を失はじの心より、自ら新しき説教一段を作りき。その詞は、まことの聖誕日の説教といはむよりは、寺の祭を敍したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしはフエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]なるが、かれは打ち笑ひ乍らも、そちが説教は、兎も角もフラア・マルチノ[#「フラア・マ
前へ
次へ
全674ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング