X1−84]《かゝ》げ去られたり。時はまだ二月末なれど、日はやゝ暑しと覺ゆる程に照りかゞやきぬ。水牛は高草の間に群れり。若駒の馳せ狂ひて、後脚《とも》もて水を蹴るときは、飛沫高く迸《ほとばし》り上れり。その疾《と》く捷《はや》き運動を、畫かく人に見せばやとぞ覺ゆる。左の方なる原中に一道の烟の大なる柱の如く騰《あが》れるあり。こはこの地の習にて、牧者どものおのが小屋のめぐりなる野を燒きて、瘴氣《しやうき》を拂ふなるべし。
途にて農夫に逢ひぬ。その痩せたる姿、黄ばみし面は、あたりの草木のすくやかに生ひ立てると表裏《うらうへ》にて、冢《つか》を出でたる枯骨にも譬へつべし。驪《くろうま》に騎《の》りて、手に長き槍めきたるものを執れるが、こは水牛を率《ゐ》て返るとき、そは驅り集むる具なりとぞ。げにこゝらの水牛の多きことその幾何《いくばく》といふことを知らず。草むらを見もてゆけば、斗《はか》らず黒く醜き頭と光る眼とを認め得て、こゝにも臥したるよと驚くこと間々あり。
道に沿ひて處々に郵亭を設けたり。その造りざま、小きながら三層四層ならぬはなし。こは瘴氣《しやうき》を恐るればなり。亭は皆白壁なれど
前へ
次へ
全674ページ中309ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング