したるならむといひき。これより後、われは怪しき夢をみること頻なりき。そを母上に語れば、母上は又友なる女どもに傳へ給ひき。そが中には、われまことにさる夢を見しにはあらねど、見きと詐《いつは》りて語りしもありき。これによりて、我を神のおん子なりとする、人々の惑は、日にけに深くなりまさりぬ。
 さる程に嬉しき聖誕祭は近づきぬ。つねは山住ひする牧者の笛ふき(ピツフエラリ)となりたるが、短き外套着て、紐あまた下げ、尖りたる帽を戴き、聖母の像ある家ごとに音信《おとづ》れ來て、救世主の誕《うま》れ給ひしは今ぞ、と笛の音に知らせありきぬ。この單調にして悲しげなる聲を聞きて、我は朝な/\覺《さ》むるが常となりぬ。覺むれば説教の稽古す。おほよそ聖誕日と新年との間には、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺なる基督《キリスト》の像のみまへにて、童男童女の説教あること、年ごとの例なるが、我はことし其一人に當りたるなり。
 吾齡《わがよはひ》は甫《はじ》めて九つなるに、かしこにて説教せむこと、いとめでたき事なりとて、歡びあふは、母上、マリウチア[#「マリウチア」に傍線]、我の三人のみかは。わがありあふ卓の上に登りて
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