ソウス、クリストス、テオウ ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇《やそ》基督《キリスト》神子《かみのこ》救世者と云ふ。)われ等はこれより入ること二三歩にして立ち留りぬ。ほぐし來たる絲はこゝにて盡きたればなり。畫工は絲の端を控鈕《ボタン》の孔に結びて、蝋燭を拾ひ集めたる小石の間に立て、さてそこに蹲《うづくま》りて、隧道の摸樣を寫し始めき。われは傍なる石に踞《こしか》けて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されどさきに貯へおきたる新なる蝋燭をば、今取り出してその側におきたる上、火打道具さへ帶びたれば、消えなむ折に火を點すべき用意ありしなり。
 われはおそろしき暗黒天地に通ずる幾條の道を望みて、心の中にさま/″\の奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周圍には寂として何の聲も聞えず、唯だ忽ち斷え忽ち續く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。われはかく由《よし》なき妄想を懷きてしばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて畫工の方を見やれば、あな訝《いぶ》かし、畫工は大息つきて一つところを馳せめぐりたり。その間かれは頻《しきり》に俯して、地上
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