も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心《をさなごゝろ》に何ともおもはず。畫工はまた豫め其心して、我を伴ひ入りぬ。先づ蝋燭一つ點《とも》し、一をば猶衣のかくしの中に貯へおき、一卷《ひとまき》の絲の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり、忽ち又岐路の出づるところ廣がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き石卓を据ゑたる圓堂を過《よぎ》りぬ。こゝは始て基督教に歸依《きえ》したる人々の、異教の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとぞ。フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]はこゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外數千の獻身者の事を物語りぬ。われ等は石龕のわれ目に燭火《ともしび》さしつけて、中なる白骨を見き。(こゝの墓には何の飾もなし。拿破里《ナポリ》に近き聖ヤヌアリウス[#「ヤヌアリウス」に傍線]の「カタコンバ」には聖像をも文字をも彫りつけたるあれど、これも技術上の價あるにあらず。基督教徒の墓には、魚を彫りたり。希臘《ギリシア》文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエ
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