梔艪ヘぬけ道の前に立ちたるが、道化役《プルチネルラ》に打扮《いでた》ちたる一群|戲《たはむれ》に相鬪へるがために、しばし往還の便を失ひて、かの婦人と向きあひゐたり。我は廼《すなは》ちこれに對して論じていはく。君よ。かくても誓に負《そむ》かざることを得るか。かくても羅馬の俗、加特力《カトリコオ》の教に背かざることを得るか。嗚呼、タルクヰニウス・コルラチニウス[#「タルクヰニウス・コルラチニウス」に傍線]が妻なるルクレチア[#「ルクレチア」に傍線](辱《はづかしめ》を受けて自殺す、事は羅馬王代の末、紀元前五百九年に在り)は今|安《いづく》にか在る。君は今の女子の爲すところに倣《なら》ひて、謝肉祭の間、夫を河東に遣りて、僧と倶に精進《せじみ》せしめ給ふならん。君が良人は寺院の垣の内に籠りて日夜苦行し、復た滿城の士女狂せるが如きを顧みず、其心には、あはれ我最愛の妻も家に籠りて齋戒《ものいみ》[#「齋戒」は底本では「齊戒」]するよとおもふならん。さるを君は何の心ぞ。この時に乘じて自在に翼を振ひ、權夫に引かれてコルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]をそゞろありきし給ふ。君よ。我は刑法第十六章第二十七條に依りて、君が罪を糺《たゞ》さんとす。語未だ畢らざるに、婦人は手中の扇をあげてしたゝかに我面を撃ちたり。その撃ちかたの強さより推《お》すに、我は偶※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》女の身上を占ひて善く中《あ》てたるものならん。友なる男は、アントニオ[#「アントニオ」に傍線]、物にや狂へると私語《さゝや》ぎて、急に婦人を拉《ひ》きつゝ、巡査《スビルロ》、希臘人、牧婦などにいでたちたる人の間を潛りて逋《のが》れ去りぬ。その聲を聞くに、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]なりき。さるにても彼婦人は誰にかあらん。椅子を借さんとて、觀棚《さじき》々々(ルオジ、ルオジ、パトロニ)と呼ぶ聲いと喧《かまびす》し。われは思慮する遑《いとま》あらざりき。されど謝肉祭の間に思慮せんといふも、固より世に儔《たぐひ》なき好事《かうず》にやあらん。忽ち肩尖《かたさき》と靴の上とに鈴つけたる戲奴《おどけやつこ》(アレツキノ)の群ありて、我一人を中に取卷きて跳ね※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りたり。忽ち又いと高き踊《つぎあし》したる状師《だいげんにん》あり。我傍を過ぐとて、我を顧みて冷笑《あ
前へ 次へ
全337ページ中90ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング