オて、獨り鬱々として日を送らんは、その卑怯ものゝ舉動ならずや、餘に饒舌《しやべ》りて途のついでをも顧みざりしこそ可笑しけれ。こゝはキヤヰカ[#「キヤヰカ」に傍線]の前なり。類《たぐひ》なき酒家《オステリア》にて、羅馬の藝人どもの集ふところなり。我と共に來よ。切角の邂逅《めぐりあひ》なれば、一瓶の葡萄酒を飮まん。この家のさまの興あるをも見せまほしといふ。われ。そは思ひもよらぬ事なり。若し學校の人々、わが禁軍《このゑ》の士官と倶《とも》に酒店にありしを聞かば奈何。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]。現《げ》に酒一杯飮まんは限なき不幸なるべし。されど試に入りて見よ。外國の藝人等が故郷の歌をうたふさまいと可笑し。獨逸語あり。法朗西《フランス》語あり。英吉利《イギリス》語あり。またいづくの語とも知られぬあり。これ等を聞かんも興あるべし。われ。否、君には酒一杯飮まんこと常の事なるべけれど、我は然らず。強ひて伴はんことは君が本意にもあらざるべし。斯く辭《いろ》ふほどに、傍なる細道の方に、許多《あまた》の人の笑ふ聲、喝采する聲いと賑はしく聞えたり。われはこれに便を得て、友の臂《ひぢ》を把《と》りていはく。見よ、かしこに人あまた集りたるは何事にかあらん。想ふに聖母の御龕《みほごら》の下にて手品使ふものあるならん。我等も往きてこそ觀め。
 我等が往方《ゆくて》を塞ぎたるは、極めて卑き際《きは》の老若男女なりき。この人々は聖母のみほごらの前にて長き圈《わ》をなし、老いたる猶太《ユダヤ》教徒一人を取り卷きたり。身うち肥えふとりて、肩幅いと廣き男あり。手に一條の杖を持ちたるが、これを翁《おきな》が前に横《よこた》へ、翁に跳《をど》り超えよと促すにぞありける。
 凡そ羅馬の市には、猶太教徒みだりに住むことを許されず。その住むべき廓《くるわ》をば嚴しく圍みて、これを猶太街《ゲツトオ》といふ。(我國の穢多まちの類なるべし。)夕暮には廓の門を閉ぢ、兵士を置きて人の出入することを許さず。こゝに住める猶太教徒は、歳に一たび仲間の年寄をカピトリウム[#「カピトリウム」に二重傍線]に遣り、來ん年もまた羅馬にあらんことを許し給はゞ、謝肉祭《カルネワレ》の時の競馬《くらべうま》の費用《ものいり》をも例の如く辨《わきま》へ、又定の日には加特力《カトリコオ》教徒の寺に往きて、宗旨がへの説法をも聽くべし、と願ふ
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