T線]の名譽を説き出しつ。ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]には無下《むげ》にいひけたれたるダンテ[#「ダンテ」に傍線]の名譽を。
 露肆の主人のいふやう。この卷は一葉ごとに一場の説教なり。これを書きしは、かう/″\しき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]を踏み破りて、天堂に抵《いた》らんとす。若き華主《だんな》よ。君はまだ此書を讀み給ひし事なきなるべし。然らずば君一「スクウド」をも惜み給はぬならん。二「パオリ」は言ふに足らざる錢なり。それにて生涯讀み厭くことなき、伊太利第一の書を藏することを得給はゞ、實にこよなき幸ならずや。
 嗚呼、われは三「パオリ」をも惜まざるべし。されど我手中にはその錢なきを奈何せん。かの伊蘇普《エソオポス》が物語に、おのがえ取らぬ架上の葡萄をば、酸《す》しといひきといふ狐の事あり。われはその狐の如く、ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]に聞きたるダンテ[#「ダンテ」に傍線]の難を囀《さへづ》り出し、その代にはいたくペトラルカ[#「ペトラルカ」に傍線]を讚め稱へき。露肆の主人は聞|畢《をは》りて。さなりさなり。おのれの無學なる、固より此の如き大家を囘護せん力は侍らず。されど君もまだ歳若ければ、此の如き大家を非難すべきにあらざるべし。おのれはえ讀まぬものなり。君は未だ讀まざるものなり。されば褒むるも貶《けな》すも、遂に甲斐なき業ならずや。唯だ訝《いぶ》かしきは、君はまだ讀まぬ書をいひおとし給ふことの苛酷なることぞといふ。われは心に慙《は》ぢて、我詞の全く師の口眞似なるを白状したり。主人も我が樸直《すなほ》なるをや喜びけん、書を取りて我にわたしていふやう。好し、一「パオロ」にて君に賣らん。その代には早く讀み試みて、本國の大詩人をあしざまに言ふことを止め給へ。

   神曲、吾友なる貴公子

 何等の快事ぞ。神曲は今我書となりぬ。我が永く藏することを得るものとなりぬ。ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]が非難をば、我始より深く信ぜざりき。わが奇を好む心は、かの露肆《ほしみせ》の主人が言に挑《いど》まれて、愈※[#二の字点、1−2−22]|熾《さかん》になりぬ。われは人なき處に於いて、はじめて此卷を繙《ひもと》かん折を、待ち兼ぬるのみな
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