rを立つべき底あることなし。唯だ昔と今との間を、ゆきつ戻りつするを見るのみ。我が眞理の聖使たるペトラルカ[#「ペトラルカ」に傍線]を見ずや。既往の天子法皇を捉へて、地獄に墮すを、手柄めかすやうなる事をばなさず、その生れあひたる世に立ちて、男性のカツサンドラ[#「カツサンドラ」に傍線](希臘の昔物語に見えたる巫女《みこ》)となり、法皇王侯の嗔《いかり》を懼《おそ》れずして預言したるは、希臘悲壯劇の中なる「ホロス」の群の如くなりき。嘗て面《まのあた》り査列斯《チヤアルス》四世を刺《あざけ》りて、徳の遺傳せざるをば、汝に於いてこれを見ると云ひき。羅馬と巴里とより、月桂冠を贈らんとせしとき、ペトラルカ[#「ペトラルカ」に傍線]は敢て輙《すなは》ち受けずして、三日の考試に應じき。その謙遜なりしこと、今の兒曹《こら》も及ばざるべし。考試畢りて後、彼は「カピトリウム」の壇に上りぬ。拿破里《ナポリ》の王は手づから濃紫の袍《はう》を取りて、彼が背に被《き》せき。これに月桂《ラウレオ》の環をわたしたるは、羅馬の議官《セナトオレ》なりき。此の如き光榮は、ダンテ[#「ダンテ」に傍線]の身を終ふるまで受くること能はざりしところなり。
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ダンテ[#「ダンテ」に傍線]は千二百六十五年フイレンチエ[#「フイレンチエ」に二重傍線]に生れぬ。そのはじめの命名はヅランテ[#「ヅランテ」に傍線]なりき。神曲に見えたるベアトリチエ[#「ベアトリチエ」に傍線]との戀は、夙《はや》く九歳の頃より始りぬ。千二百九十年戀人みまかりぬ。是れダンテ[#「ダンテ」に傍線]が女性の美の極致にして、ダンテ[#「ダンテ」に傍線]はこれに依りて、心を淨め懷《おもひ》を崇《たか》うせしなり。アレツツオ[#「アレツツオ」に二重傍線]とピザ[#「ピザ」に二重傍線]との戰ありしときは、ダンテ[#「ダンテ」に傍線]軍人たりき。後政治家となりて、千三百二十一年ラヱンナ[#「ラヱンナ」に二重傍線]にて歿す。
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ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]が講説は、いつも此の如くペトラルカ[#「ペトラルカ」に傍線]を揚げダンテ[#「ダンテ」に傍線]を抑ふるより外あらざりき。この兩詩人をば、匂ふ菫花、燃ゆる薔薇の如く並び立たせてもあるべきものを。ペトラルカ[#「ペトラルカ」に傍線]が小抒情詩を
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