ス》卓《づくゑ》のめぐりに寄るものも、社會といふ社會の限、必ず太郎|冠者《くわじや》のやうなるものありて、もろ人の嘲戲は一身に聚《あつ》まる習なり。學校にも亦此の如き人あり。我等少年生徒の眼は、早くも嘲戲の的《まと》を見出したり。そは我等が教師多かる中にて、最眞面目なる、最怒り易き、最|可笑《をか》しき一人なりき。名をば「アバテ」ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]となんいひける。元と亞拉伯《アラビア》の産《うまれ》なるが、穉《をさな》き時より法皇の教の庭に遷《うつ》されて、こゝに生ひ立ち、今はこの學校の趣味の指南役、テヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]大學院《アカデミア》の審美上主權者となりぬ。
詩といふ神のめづらしき賜《たまもの》につきては、われ人となりて後、屡※[#二の字点、1−2−22]考へたづねしことあり。詩は深山の裏なる黄金の如くぞおもはるゝ。家庭と學校との教育は、さかしき鑛掘《かねほり》、鑛鋳《かねふき》などのやうに、これを索《もと》め出だし、これを吹き分くるなり。折々は初より淨き黄金にいで逢ふことあり。自然詩人が即興の抒情詩これなり。されど鑛山の出すものは黄金のみにあらず。白銀いだす脈もあり。錫《すゞ》その外|卑《いやし》き金屬を出す脈もあり。その卑きも世に益あるものにしあれば、只管《ひたすら》に言ひ腐《くた》すべきにもあらず。これを磨き、これに鏤《ちりば》むるときは、金とも銀とも見ゆることあらん。されば世の中の詩人には、金の詩人、銀の詩人、銅の詩人、鐵の詩人などありとも謂ふことを得べし。こゝに此列に加はるべきならぬ、埴《はに》もて物作る人ありて、強ひて自ら詩人と稱す。ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]は實にその一人なりき。
ハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]は當時一流の埴瓮《はにべ》つくりはじめて、これを氣象情致の※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はるか》に優れたる詩人に擲《な》げ付け、自ら恥づることを知らざりき。字法句法の輕捷《けいせふ》なる、體制音調の流麗なる、詩にあらねども詩とおもはれ、人々の喝采を受けたり。平生ペトラルカ[#「ペトラルカ」に傍線]を崇《あが》むも、その「ソネツトオ」の音調のみ會し得たるにやあらん。さらずば、矮人《わいじん》觀場なりしか。又狂人にあり
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