る。丁度 snob《スノッブ》 という詞だって、最初に Thackeray《サッカレイ》 が書いた時の意味と、今の意味とはまるで違っているようなものだ。バクニンがロシアへ帰ってからの青年の思想はツルゲニエフが、父等と子等ではない、あの新しい国という方の小説に書いている。」
「君|馬鹿《ばか》に精《くわ》しいね」と、犬塚が冷かした。
「なに文学の方の歴史に、少しばかり気を附けているだけです。世間の事は文学の上に、影がうつるようにうつっていますから、間接に分かるのです。」木村の詞は謙遜《けんそん》のようにも聞え、弁解のようにも聞えた。
「そうすると文学の本に発売禁止を食わせるのは影を捉《とら》えるようなもので、駄目なのだろうかね。」
木村が犬塚の顔を見る目はちょいと光った。木村は今云ったような犬塚の詞を聞く度に、鳥さしがそっと覗《うかが》い寄って、黐竿《もちざお》の尖《さき》をつと差し附けるような心持がする。そしてこう云った。
「しかし影を見て動くものもあるのですから、影を消すのが全く無功ではないでしょう。ただ僕は言論の自由を大事な事だと思っていますから、発売禁止の余り手広く行われるのを
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