は神もなけりゃあ国家もない。それだから刺客《せっかく》になっても、人を殺しても、なんのために殺すなんという理窟はいらないのだ。殺す目当になっている人間がなんの邪魔になっているというわけでもない。それを除いてどうするというわけでもない。こないだ局長さんに聞いたが、十五年ばかり前の事だそうだ。巴里《パリイ》で Emile《エミル》 Henry《アンリイ》 とかいう奴《やつ》が探偵の詰所に爆裂弾を投げ込んで、五六人殺した。それから今一つの玉を珈琲店《コオフィイてん》に投げ込んで、二人を殺して、あと二十人ばかりに怪我をさせた。そいつが死刑になる前に、爆裂弾をなんに投げ附けても好いという弁明をしたのだ。社会は無政府主義者を一|纏《まと》めに迫害しているから、こっちも社会を一纏めに敵にする。無辜《むこ》の犠牲とはなんだ、社会に生きているものに、誰一人労働者の膏血《こうけつ》を絞って、旨《うま》い物を食ったり、温い布団の上に寝たりしていないものはない。どこへ投げたって好いと云うのだ。それが君主を目差すとか、大統領を目差すとかいうことになるのは、主義を広告する効果が大きいからだと云うのだ。」
「焼けな
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