だのではないと、後で自分で白状している。スチルネルが鋭い論理で、独創の議論をしたのとは違って、大抵前人の言った説を誇張したに過ぎない。有名な、占有は盗みだという語《ことば》なんぞも、プルウドンが生れるより二十年も前に、Brissot《ブリゾオ》 が云っている。プルウドンという人は先ず弁論家というべきだろう。それからバクニンは、莫斯科《モスコオ》と彼得堡《ペテルブルグ》との中間にある Prjamuchino《プリヤムヒノ》 で、貴家の家に生れた人で、砲兵の士官になったが、生れ附き乱を好むという質《たち》なので、間もなく軍籍を脱して、欧羅巴中を遍歴して、到る処に騒動を起させたものだ。本国でシベリアへ流された外に、諸方で獄に繋《つな》がれたことがある。無政府党事件としては一番大きい Jura《ユラ》 の時計職人の騒動も、この人が煽動《せんどう》したのだ。瑞西《スウィス》にいるうちに、Bern《ベルン》 で心臓病になって死んだ。それからクロポトキンだが、あれは Smolensk《スモレンスク》 公爵の息子に生れて、小さい時は宮中で舎人《とねり》を勤めていた。それからカザアキ騎兵の士官になってシ
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