ある日記に惹《ひ》かれた。きのう自分の実際に遭遇した出来事よりは、それを日記にどう書いたということが、当面の問題であるように思われる。記憶は記憶を呼び起す。そして純一は一種の不安に襲われて来た。それはきのうの出来事に就いての、ゆうべの心理上の分析には大分行き届かない処があって、全体の判断も間違っているように思われるからである。夜の思想から見ると昼の思想から見るとで同一の事相が別様の面目を呈して来る。
ゆうべの出来事はゆうべだけの出来事ではない。これから先きはどうなるだろう。自分の方に恋愛のないのは事実である。しかしあの奥さんに、もう自分を引き寄せる力がないかどうだか、それは余程疑わしい。ゆうべ何もかも過ぎ去ったように思ったのは、瘧《おこり》の発作の後《のち》に、病人が全快したように思う類《るい》ではあるまいか。又あの謎《なぞ》の目が見たくなることがありはすまいか。ゆうべ夜が更けてからの心理状態とは違って、なんだかもう少しあの目の魔力が働き出して来たかとさえ思われるのである。
それに宿主なしに勘定は出来ない。問題はこっちがどう思うかというばかりではない。向うの思わくも勘定に入れなくてはならない。有楽座で始て逢ってから、向うは目的に向って一直線に進んで来ている。自分は受身である。これから先きを自分がどうしようかというよりは、向うがどうしてくれるかという方が問題かも知れない。恋愛があるのないのと生利《なまぎき》な事を思ったが、向うこそ恋愛はないのであろう。そうして見れば、我が為めに恥ずべきこの交際を、向うがいつまで継続しようと思っているかが問題ではあるまいか。それは固《もと》より一時の事であるには違いない。しかし一時というのは比較的な詞である。
こんな事を思っている処へ、婆あさんが朝飯を運んで来たので、純一は箸《はし》を取り上げた。婆あさんは給仕をしながら云った。
「昨晩は大相《たいそう》遅くまで勉強していらっしゃいましたね」
「ええ。友達の処へ本を借りに行って、つい話が長くなってしまって、遅く帰って来て、それから少し為事をしたもんですから」
言いわけらしい返事をして、これがこの内へ来てからの、嘘《うそ》の衝き始めだと、ふいと思った。そして厭《いや》な心持がした。
食事が済むと、婆あさんは火鉢に炭をついで置いて帰った。
純一はゆうべ借りて来たラシイヌを出して、
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