単に自分の美貌を意識したばかりではない。己は次第にそれを利用するようになった。己の目で或る見かたをすると、強情な年長者が脆《もろ》く譲歩してしまうことがある。そこで初めは殆ど意識することなしに、人の意志の抗抵を感ずるとき、その見かたをするようになった。己は次第にこれが媚《こび》であるということを自覚せずにはいられなかった。それを自覚してからは、大丈夫《だいじょうふ》たるべきものが、こんな宦官《かんがん》のするような態度をしてはならないと反省することもあったが、好い子から美少年に進化した今日も、この媚が全くは無くならずにいる。この媚が無形の悪習慣というよりは、寧《むし》ろ有形の畸形《きけい》のように己の体に附いている。この媚は己の醒めた意識が滅《ほろぼ》そうとした為めに、却ってraffine[#最後の「e」は「´」付き]《ラフィネエ》になって、無邪気らしい仮面を被って、その蔭に隠れて、一層威力を逞くしているのではないかとも思われるのである。そして外面から来る誘惑、就中《なかんずく》異性の誘惑は、この自ら喜ぶ情と媚とが内応をするので、己の為めには随分|防遏《ぼうあつ》し難いものになっているに相違ないのである。
今日の出来事はこう云う畠に生えた苗に過ぎない。
己はこの出来事のあったのを後悔してはいない。なぜというに、現社会に僅有絶無《きんゆうぜつむ》というようになっているらしい、男子の貞操は、縦《たと》い尊重すべきものであるとしても、それは身を保つとか自ら重んずるとかいう利己主義だというより外に、何の意義をも有せざるように思うからである。そういう利己主義は己にもある。あの時己は理性の光に刹那の間照されたが、歯牙《しが》の相撃とうとするまでになった神経興奮の雲が、それを忽ち蔽《おお》ってしまった。その刹那の光明の消えるとき、己は心の中で、「なに、未亡人だ」と叫んだ。平賀源内がどこかで云っていたことがある。「人の女房に流し目で見られたときは、頸《くび》に墨を打たれたと思うが好《よ》い。後家は」何やらというような事であった。そんな心持がしたのである。
とにかく己は利己主義の上から、或る損失を招いたということを自覚する。そしてこれから後《のち》に、又こんな損失を招きたくないということをも自覚する。しかし後悔と名づける程の苦い味を感じてはいないのである。
苦みはない。そんな
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