さんが云われた。「おかしいでしょう。お婆あさんがこんな派手な物を着て。わたしは昔の余所行《よそゆき》を今の不断着にしますの」と云われた。己はこの詞を聞いて、始《はじめ》てなる程そうかと思った。華美に過ぎるというような感じは己にはなかった。己には只着物の美しい色が、奥さんの容姿《すがた》には好く調和しているが、どこやら世間並でない処があるというように思われたばかりであった。
己の日記の筆はまだ迂路を取っている。己は怯懦である。
久しく棄てて顧みなかったこの日記を開いて、筆を把《と》ってこれに臨んだのは何の為めであるか。或る閲歴を書こうと思ったからではないか。なぜその閲歴を為す勇気があって、それを書く勇気がないか。それとも勇気があって敢《あえ》て為したのではなくて、人に余儀なくせられて漫《みだ》りに為したのであるか。漫りに為して恥じないのであるか。
己は根岸の家の鉄の扉を走って出たときは血が涌《わ》き立っていた。そして何か分からない爽快《そうかい》を感じていた。一種の力の感じを持っていた。あの時の自分は平生の自分とは別であって、平生の自分はあの時の状態と比べると、脈のうちに冷たい魚《うお》の血を蓄えていたのではないかとさえ思われるようであった。
しかしそれは体の感じであって、思想は混沌《こんとん》としていた。己は最初は大股《おおまた》に歩いた。薩摩下駄が寒い夜の土を踏んで高い音を立てた。そのうちに歩調が段々に緩くなって、鶯坂《うぐいすざか》の上を西へ曲って、石燈籠《いしどうろう》の列をなしている、お霊屋《たまや》の前を通る頃には、それまで膚《はだえ》を燃やしていた血がどこかへ流れて行ってしまって、自分の顔の蒼《あお》くなって、膚に粟《あわ》を生ずるのを感じた。それと同時に思想が段々秩序を恢復《かいふく》して来た。澄んだ喜びが涌いて来た。譬《たと》えばparoxysme《パロクシスム》をなして発作する病を持っているものが、その発作の経過し去った後《のち》に、安堵《あんど》の思をするような工合であった。己は手に一巻のラシイヌを持っていた。そしてそれを返しに行《い》かなくてはならないという義務が、格別愉快な義務でもないように思われた。もうあの目が魔力を逞《たくましゅ》うして、自分を引き寄せることが出来なくなったのではあるまいかと思われた。
突然妙な事が己の記憶から浮
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