物を言うのは、窮屈でならないが、なぜあの奥さんと話をするのを、少しも窮屈に感じなかったのだろう。それにあの奥さんは、妙な目の人だ。あの目の奥には何があるかしらん」
帰るときに気を附けていたが、大村にも瀬戸にも逢はなかった。左隣にいたお嬢さん二人が頻りに車夫の名を呼んでいるのを見た。
十
純一が日記の断片
十一月三十日。晴。毎日|几帳面《きちょうめん》に書く日記ででもあるように、天気を書くのも可笑しい。どうしても己には続いて日記を書くということが出来ない。こないだ大村を尋ねて行った時に、その話をしたら、「人間は種々《いろいろ》なものに縛られているから、自分で自分をまで縛らなくても好《い》いじゃないか」と云った。なる程、人間が生きていたと云って、何も齷齪《あくそく》として日記を附けて置かねばならないと云うものではあるまい。しかし日記に縛られずに何をするかが問題である。何の目的の為めに自己を解放するかが問題である。
作る。製作する。神が万物を製作したように製作する。これが最初の考えであった。しかしそれが出来ない。「下宿の二階に転がっていて、何が書けるか」などという批評家の詞を見る度に、そんなら世界を周遊したら、誰にでもえらい作が出来るかと反問して遣《や》りたいと思う反抗が一面に起ると同時に、己はその下宿屋の二階もまだ知らないと思う怯懦《きょうだ》が他の一面に萌《きざ》す。丁度Titanos《チタノス》が岩石を砕いて、それを天に擲《なげう》とうとしているのを、傍に尖《とが》った帽子を被《かぶ》った一寸坊が見ていて、顔を蹙《しか》めて笑っているようなものである。
そんならどうしたら好《い》いか。
生きる。生活する。
答は簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。
一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜《くぐ》ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為《な》し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃《かく》した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
そこで己は何をしている。
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