驍ナ比べものにならない。小さい時、小学校で友達が数人首を集めて、何か※[#「※」は「口+耳」、第3水準1−14−94、196−3]《ささや》き合っていて、己がひとり遠くからそれを望見したとき、稍《やや》これに似た寂しさを感じたことがある。己はあの時十四位であった。丁度同じ学校に、一つ二つ年上で痩《やせ》ぎすの、背の高い、お勝という女生徒がいた。それが己を憎んで、動《やや》もすればこう云う境地に己を置いたのである。いつも首を集めて※[#「※」は「口+耳」、第3水準1−14−94、読みは「ささや」、196−6]き合う群の真中には蝶々髷《ちょうちょうまげ》だけ外の子供より高いお勝がいて、折々己の方を顧みる。何か非常な事を己に隠して遣っているらしい。その癖群に加わっている子供の一人に、跡からその時の話を聞いて見れば、なんでもない、己に聞せても差支《さしつかえ》ない事である。己はその度毎に、お勝の技倆《ぎりょう》に敬服して、好くも外の子供を糾合してあんなcomplot《コムプロオ》の影を幻出することだと思った。今己がこの事を思い出したのは、寂しさの感じから思い出したのであるが、つくづく考えて見れば、あの時の感じも寂しさばかりではなかったらしい。お勝は嫉妬の萌芽《ほうが》を己の心に植え附けたのではあるまいか。
純一はこんな事を考えながら歩いていて、あぶなく柏屋の門口《かどぐち》を通り過ぎようとした。幸に内から声を掛けられたので、気が附いて戸口を這入って、腰を掛けたり立ったりした二三人の男が、帳場の番頭と話をしている、物騒がしい店を通り抜けて、自分の部屋の障子を明けた。女中がひとり背後《うしろ》から駈け抜けて、電燈の鍵《かぎ》を捩《ねじ》った。
* * *
夕食をしまって、純一は昼間見なかった分の新聞を取り上げて、引っ繰り返して見た。ふと「色糸」と題した六号活字の欄に、女の写真が出ているのを見ると、その首の下に横に「栄屋おちゃら」と書いてあった。印刷インクがぼってりとにじんでいて、半分隠れた顔ではあるが、確かに名刺をくれた柳橋の芸者である。
記事はこうである。「栄屋の抱えおちゃら(十六)[#「(十六)」は縦中横組み]は半玉の時から男狂いの噂《うわさ》が高かったが、役者は宇佐衛門が贔屓《ひいき》で性懲《しょうこり》のない人形喰《にんぎょうくい》である
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