フ駅を貫いて進むうちに、悪夢に似た国府津の一夜を、純一の写象は繰り返して見て、同じ間に寝て、詞を交しながら、とうとう姿を見ずにしまった、不思議な女のあったのを、せめてもの記念だと思った。奉公に都へ出る、醜い女であったかも知れない。それはどうでも好《い》い。どんな女とも知らずに落ち合って、知らずに別れたのを面白く思ったのである。
鉄道馬車を降りてから、純一はわざと坂井夫人のいる福住《ふくずみ》を避けて、この柏屋に泊った。国府津に懲りて拒絶せられはしないかと云う心配もあったが、余り歓迎しないだけで、小さい部屋を一つ貸してくれた。去就の自由がまだあるのなんのと、覚束ない分疏《いいわけ》をして見るものの、いかなる詭弁《きべん》的見解を以てしても、その自由の大《おおき》さが距離の反比例に加わるとは思われない。湯を浴びて来て、少し気分が直ったので、革包の中の本や雑誌を、あれかこれかと出しては見たが、どうも真面目に読み初めようと云う落着きを得られなかった。
二十三
福住へ行《ゆ》こうか、行くまいか。これは純一が自分で自分を弄《もてあそ》んでいる仮設の問題である。しかし意識の閾《しきい》の下では、それはもう疾《と》っくに解決が附いている。肯定せられている。若《も》しこの場合に猶《なお》問題があるとすれば、それは時間の問題に過ぎないだろう。
そしてその時間を縮めようとしている或る物が存《そん》じている。それは小さい記念の数々で、ふと心に留まった坂井夫人の挙動や、詞《ことば》と云う程でもない詞である。Un geste, un mot inarticule[#最後の「e」は「´」付き]《アン ジェスト アン モオ イナルチクユレエ》である。この物は時が立っても消えない。消えないどころではない。次第に璞《あらたま》から玉が出来るように、記憶の中で浄《きよ》められて、周囲から浮き上がって、光の強い、力の大きいものになっている。本を読んでいても、そのペエジと目との間に、この記念が投射せられて、今まで辿《たど》って来た意味の上に、破り棄てることの出来ない面紗《めんしゃ》を被せる。
この記念を忘れさせてくれるLethe《レエテ》の水があるならば、飲みたいとも思って見る。そうかと思うと、又この記念位のものは、そっと棄てずに愛護して置いて、我《わが》感情の領分に、或るelegia
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